” 双極性障害II型 ”と診断されるまで。
” 双極性障害 ” と診断されたのは、2012年の秋頃になります。
当時は、東日本大震災(2011年3月11日)の復興支援事業で仙台に赴き、昼夜問わずがむしゃらに動いていた頃でした。
私自身、阪神淡路大震災(1995年1月17日)の被災経験があります。
その原体験を踏まえて、大学では地震学研究室にて”防災教育のあり方”を学びました。
東日本大震災の発生当時は、千葉県の南房総にて地域活性化の仕事をしていましたが、当時の師匠であった方(国交省の人)が仙台を拠点に活動していたご縁があり、2011年の初夏、仙台に居を移しました。
仙台に移住して1年後、心身を壊します。
寝る時間以外は活動していたと思います。心身ともに限界を迎え、朝起きると頭がショートしている状態でした。
感情が表に出てこず、言葉を発することができない。
自宅に同僚が来てくれ、ことの重大さに気づきました。
しばらく休養しましたが、もぬけの殻状態であることに変化はなく、心療内科を受診することになりました。2012年の秋頃でした。
” 双極性障害 ” と診断されたその言葉は、上手く汲み取れず、処方された薬を服薬する日々が続きました。
活動期(軽躁)と抑うつ期を周期的に繰り返す ” 脳の障害 ”。
そして、障害と生涯にわたってのつき合いになる。
障害を持っているという自覚もなく、当時携わっていた現場から離れたことで、心身ともに負荷が無くなった状態ことで、自己判断から受診と服薬を中断しました。
それから紆余曲折があり、気分がひどく落ち込むのは自身の至らなさ故になっていることであって、” 気分障害 ” の自覚がないまま、1年間を過ごすことになります。
いまの職場に勤務(7年前)してから2年後の夏、再び ” 活動停止時期 ” に差し掛かったことで、障害と向き合う必要性を重々と感じ、通院する病院を探している傍に出会った一冊の本があります。
私は、内海さんの本から ” 双極性障害II型 ” を学びました。
” 百戦危うからず ” の精神で生きていくためには、” まず敵を知り、己を知る ” 必要がある。
私は、一冊の本から ” 己という敵を知ること ” を始めました。